余談

情報の受け手のリテラシーの向上は大切なことですが、受け手のリテラシーに期待するばかりではなく、情報の送り手側にも節度が必要でしょう。

ここからは意見というよりエッセイとして書きますが。

多分、自分は「受け手のリテラシー」とか「送り手側にも節度」とかいうこと自体をナンセンスと考えていて、そこらへんが他の人との認識のずれになっているんだなと思います。
例えラノサイ杯がどんなに節度を持ったところで他の営業ランキング*1が世に蔓延している以上「ラノサイ杯が降りる」だけの結果になってしまい(比較的マシなラノサイ杯ではなく)読者は他のランキングに依存するだけ。

結局のところそれは、ランキング自体の節度の問題というよりも「ランキング上位の作品を買ったところで自分に合うとは限らない」ということを、何度もババを引きながら学習する*2しか手がないわけで。そこらへんを考慮の対象にしても無意味じゃないかな。(世のランキング全てを否定するのなら別ですけれども、それこそ恐怖政治でもないかぎりそれは不可能ですし)

ラノサイ杯の場合「何を読んだか ∩ 良作」のみが結果として抜き出されるという性質を持った投票の集合であってそれ以外の意味はないわけで「世の良作を抜き出す」という意味での最適解を目指していない、いわば「トラックバック祭り」でしかないもの。他の基準を欲するのならば他の基準でのランキングをやればいい*3と思いますし、また他のやり方のランキングがあるとしてもそれは「ラノサイ杯に参加しない」理由にはならないかと。(もちろん「トラックバック祭り」自体に対して否定的なのならば参加しないのが正解でしょうが)

世の中自体が「目立とう祭り」なわけで、ラノベで仮にそれを否定しても「話題だから」で動く層から無視されるようになり他の、例えば初音ミクだのに興味が流れ「ラノベが没落」するだけになる。

雑誌で取り上げられたり帯に書かれたりする事は、とりあえず「ラノサイ杯」の本家に流れてくる人を増やす効果がある事は確かですし、そうなればそこに書かれた平和さんの文言や、それに言及するあなたや私の文章に目を止める可能性も増える。つまり、純粋に営業上の都合で書かれていたものにCGMという別種のものへの連結を差し込ませる糸口にはなっている。

現状で期待できるのはその程度。しかしその程度ですら前世紀に比べれば格段の進歩。ベストを求めるあまりベターを否定し、結果やっていることは「降りてしまう」ことだったり「倫理警察」*4だったりになってしまうならば、それこそが最悪。

短期的に考えても、読者にヒエラルキーを作りラノベ文壇化を促進している「このライトノベルがすごい!」が存在している以上、それに対抗しうる読者ランキングが存在している事は重要かと思います。

*1:このラノばかりではなく、販売ランキングやらも含め

*2:ババと分かってる上であえてババを引きに行く(アキカン! - つちのこ、のこのこ。(はてな番外地))私みたいなのが言ってもぜんぜん説得力なしだけど

*3:例えばCinemaScape, ErogameScape -エロゲー批評空間- とかあるいはアマゾン等にもある「カスタマーレビュー」とか、つまり他との比較ではなくその作品の絶対評価を購読者に付けてもらうものなら(素人レビューという限界はあるとして)正当な評価にはなるはず

*4:いや別に私が書いた「ラノサイ杯中間結果 - つちのこ、のこのこ。(はてな番外地)」あたりを否定する意図はないでしょうけれども