むしろ「初音ミクだ」というだけで“埋もれてしまう”というのが新しい事態なんだと思う

 キーワードは「初音ミク」だ。ニコニコ動画には初音ミクが一枚かんでいるというだけで、どんな投稿でも一応は視聴してみるという傾向が存在している。

(中略)

 ニコニコ動画では「ミクだっ、初音ミクだ」というだけで、どんなに新規な情報でも人々の間で一般化する可能性がある。ミクが歌ったというだけで、ジョン・ケージの「4分33秒」が4万再生を超え、松浦某とかいう食わせ者の自作が何千再生かを記録してしまう。


 私は、ここに文化的装置としてのニコニコ動画初音ミクの可能性を見る。

ジャミロクワイと半導体娘: 松浦晋也のL/D

21世紀初頭の月姫二次創作あたりから東方アレンジCDまでの、同人ルートが主役であったころのUGCについて言うならその通りだったと思うし、初音ミクについても去年の内ならともかくとしても。現在の初音ミクの場合は…… 何千再生 の場所に居る松浦氏は既に閾値の上に居るから気づかないのかもしれませんが、一般的な初音ミクタグ付き動画の水準はせいぜい数百のオーダーですよ。初音ミクの効果というのは「数十を数百にする」止まりかと。むしろ固定客のいるニコニコ技術部タグの方が効果的なくらい。

その上の千、万の位に行くには初音ミク以外の引っ張り要素――商業PVのカバーとか自作音源とか、ジョン・ケージやそして松浦某という著名人の名声とか――が必要。あるいは(ポップスであるかプログレであるかは問わず)キャッチーなありがち曲調のそれで「みんなが知っていること」を反芻するための――単に著作権的な意味でのそれでしかない――オリジナル作品。
ケータイ小説から初音ミクまでの(一部の趣味人のためのものではない)大衆のためのUGCを特徴付けているのは反芻のためのオリジナルであって、それはむしろそういった先進性を埋もれさせてしまう。(日刊を追っている上澄み掬いですら数千のオーダーでしかないし、そこで掬われない下位にまで足を踏み込もうとする人はどれほどいるやら)

先進的なものを掬い出すのは、むしろそれを埋もれさせてしまうだけのニコニコ動画でも初音ミクでもなく、松浦氏も実践しておられるブログでの紹介のような、古典的な手動でのリンクしかないと思います。


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