Purple Qualia
ラノサイ界隈でSFがらみで語られているこの作品、読んでみましたよ。
- 作者: うえお久光,綱島志朗
- 出版社/メーカー: アスキーメディアワークス
- 発売日: 2009/07/10
- メディア: 文庫
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全般的に、科学的解釈と物語がややリンクしていない印象を受けるが、おもしろさには影響ない。
S-Fマガジン 2009年 10月号 [雑誌] 「SF BOOK SCOPE - JAPAN」(柏崎玲央奈) p115
――てな感じで「SFとして」どうこう言うような作品ではないと思うけれども、つーか「クオリアと自意識は関係ねえ!」と突っ込み*1たくなって……いやいやいや。転びSFマニアの戯言だな。自重、自重。
ドリルは素晴らしいものですよ
『電撃文庫MAGAZINE増刊』に『紫色のクオリア』のタイトルで掲載されたものを第1話の『毬井についてのエトセトラ』とし、第2話『1/1,000,000,000のキス』とエピローグ『If』を書き下ろしで追加、という構成。そのせいか第1話で振られた問題を消化しきれずに多世界解釈(の通俗的理解)な第2話が唐突に加わり、奇麗事な問題回避のエピローグで無理やり閉められてしまった、みたいなイメージに。つーかドリルが見事らしい加則君の存在意義はいったい(以下自重
多世界解釈にしろ人間原理にしろ、もっと突っ込んで考察して取り入れればとは思いますが、これは作者というより
電撃文庫というレーベルの限界なんでしょうね。とはいえ
指摘してる側は、使ってる単語の学術的意味とかというよりも、
その前後での論理性、整合性がとれていないところがあり、それが瑕となっている、という意図でしたが、
反論側は、そもそもの単語の意味もわからないから、「何かすごいことをやってる!」と感じていて、
その先にある瑕はどうでもいい(?)というような主張でした(と思います……)。
紫色のクオリア読書会とライトノベルの限界? な話 - Koto-pinion
て評されてしまうのもしょうがない出来なのも確かですから「ハヤカワSFシリーズ Jコレクション」あたりに連れて来て書かせる、という水準には至っていないですし。出版媒体的に微妙な出来の作品ではあります。*2
業界的な位置づけはともかくとして
主人公マナブの、ゆかりへの執着が所与のものとして出されてしまい、いま1つ読者的に実感できなかったのが「ライトノベルとしての欠点」。そして各種学術用語が俗流解釈を元にしたファンタジーと化してしまっているのが「SFとしての欠点」。その2つが合わさったせいで、特に第2話が「感情移入を拒絶した疑似科学ファンタジーの開示」にしかなっていないのが……。グレッグ・イーガン並にきちんとした「ペテン」をやってくれるか、『みすてぃっく・あい』並にキャラ相互の執着を提示した上で多世界解釈部分を背景に落とし込むか、どちらかに振ってほしかったところ。ただ用語はともかくSFとしての展開では所詮『果しなき流れの果に (ハルキ文庫)』程度、つまりSF第一世代の水準に留まっているので、どのみち今日的に評価できるようなものにはならないでしょうけれども。
腐すのはこれくらいにしておいて
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ライトノベルで言えば谷川流あたりに入る「前に」読んでみるSFとしては適当*3だとは思いますし。私みたく腐れSFオタの言は気にせず、読んでみるのも一興かと。と、とりあえずお勧めしておきます。