始まる前に何か記事を上げようかとも思ってたのだけれども
過去に書いたものの繰り返しにしかならないからいいか。(夜勤明けで眠いし)
そもそもこのイベントで状況が大きく変る期待もできないし……。*1
あえて言えばこれを機会に今まで何故か出ていなかった小説版(もちろん「メーカー非公式かつ公認」)が出るかな、という程度か。*2
というわけで、一般向きでなく自分向けに、分かってる人には分かりきっているだろうとりとめのないとりまとめを。
- (日本の)ネットのマジョリティーはガラケー。そしてガラケーを制する者が世界を制する。iPad は Apple 版のガラケー。アプリと市場の囲い込み。「みんなこれを、目指してきた」のは Dynabook ではなくガラケーだった、というのが今世紀入ってからの世界=ネットが明らかにした現実。
- CGMで最重要なのはテキストメディア。UGCとしては動画投稿サイトもケータイ小説の後追いでしかない。
- ネットのコミュニケーションの基本はメール。Twitter はそのバリエーション。そして大抵のユーザーはメル友とのメール口コミが基板でそれ以上の範囲に広がるのは(何らかの意味での)オタクのみ。
- 商品の「価値」は商品自体の利用価値ではなくマスコミ通した露出が造る。CMこそが商品で実際の商品の入手と利用はその確認作業でしかない。それ以外の「必要物資」はひたすらコモディティ化して行く。
- あらゆるメディア産業はコモディティ化した時に終わる。「どこでも図書館」は商品としてのメディアの終わり。そしてCGM=消費者生成メディアはそれの実現。既に百科事典は Wikipedia のみ、という層が居る。これがあらゆるものに拡大して行く。
- CGMの価値はコンテンツそのものの価値ではなくそれを「操作する」ことにある。コメントする、宣伝する、流布する、改造する、一番最後に苦肉の作として「自分で創る」。ネットでそこに自分が「存在する」にはそれにコミットするしか手が無い。コンテンツを鑑賞した時でなくそれに対して何かコミットした時に初めて価値が生まれる。感想を書くためにコンテンツを見る、という逆転。
- 本を商品にしているのは著者ではなく出版社。無数の消費者が無料でコンテンツを作るのならばプロ著者は要らない。紙の本から Web へ移行した段階で出版社はコンテンツでなく「場」を作るようになり、プロ著者は必要でなくなる。それが「魔法のiらんど」。必要になるのはプロ著者でなくゲームマスター=管理者。
- 尻Pこと野尻抱介氏はネットゲームの走り(プレイバイメール)である「クレギオン」のゲームマスターだった。作家としてのデビューもそのノベルから。
- コンテンツのオンライン販売はネットが普及する以前の「ソフトベンダーTAKERU」(パソコンソフトの販売機)あたりから。MSX対象のディスクマガジン「ディスクステーション」に影響され多数の同人ディスクマガジンがそこ経由で販売され、これがUGCの(同人即売等オタク向けではない)一般販売の走り。そしてオンライン販売はネットの普及でありふれたものへと。しかしそのパソコン=同人的な流れとは別物として、コンシューマーゲーム的な「生産者 対 消費者」のものとしてケータイコンテンツ/アプリが急速に普及。現在の商売のターゲットはここ。
- 同人誌とは同人(会員)から会費を取って会誌を発行する流通形態のこと。著者は報酬を貰うのではなく逆に掲載料を払う。現在の個人サークル基盤の「即売会で売るために作る同人誌」も、入場者から会場費を取ることを建前に擬似的に同人活動とみなして(販売ではなく)「頒布」している。生産者と消費者の層が重なっている閉じた系。
- 初音ミクを駆動しているのはクリプトンではなくそれを推戴するファン。なのでファンの「初音ミクはこうあるべき」という期待から外せない。そして初音ミクを「利用して」メジャー化しようとするクリエイターはその期待に沿ったものを(作るのではなく)作らされることになる。そうしないとメジャーになれず順位も伸びない。ランキングはそれを助長する。そこに横槍を入れられるのは「スキャンダル」のみだが、それは場を安物にしてしまうのでまともなファンには眉を顰められる。なのでこまめな害虫駆除が公にも暗黙(同調圧力)にも行われることに。
初音ミクを大統領に!
とか政治利用すると逆にそのミクの自己同一化作用に取り込まれる。ブランチが出ても内ゲバの下で潰される。その行為に主体は居ない=「初音はそれを望まないだろう」。中の人など居ないから太平洋戦争の終戦時のような天皇による超法規的措置も取れない。
ってもう始まる時間になるみたいなのでこれくらいに。(私は見ないで寝るけども)