『白いクスリ』と表象の商業的流通

クリプトンの判断自体は『戦え!俺の初音ミク

の時に作品内容を根拠に干渉する*1ことを選んだ時点で「選択」された方針なので、今更それを止めるわけにもいかないわけで。自身の決定に縛られた必然。(止める権利があるなら止める義務もある道理)

出版社が小説等の自社の出版物やそれを直接に映画化したものなど、元から文責のあるものに対してそれをするならば当然のことですが、ここでの選択のキモは他人の文責に帰すものについてそれと同様の権利と、そして義務を得る/得てしまうことになる、という点。

問題なのはクリプトンに限らず全ての(商業的な)素材メーカーや、またニコニコ動画やそして「はてな」のような CGM サイトもそれに追従するだろうこと。

その作品を作るのに使った元曲、元歌詞、(MikuMikuDance等の)ツール作者、キャラクターデザインをしたイラストレータ、音源の作者、楽器音の作者、歌い手、そして VOCALOID 音源の音素のサンプル元。そしてそれら全ての(元作者に加え)著作財産権の所有者。発表する段になればはてなニコニコ動画等の CGM サイトを使う必要がありますからそこも加わります。それら全てが「許認可」する権利義務を持つ/持ってしまうことになる。


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何らかの他人の権利がある「素材」を使うこと。そしてメーカーの主催する Web リソースを使うこと*2。それは決して、その作成者のみに権利と責任がある = freeではない、ということ。

ただの個人が作品を発表でき、それを(身内でない)他者が観るようになったのは、それを可能とする各種リソースを容易に得られるようになったから。しかしそれには「紐」が付いていた。紐付きの権利/資格。

主体と主体が自らの責任において対決する世界、それは過去においては(それを目指していたとはいえ)達成されていなかったし、そして、未来において達成され得ないことは、これで確定してしまった。


そう選択されてしまった。それも、その作品への個々の権利者の好悪という「主体による主観」ではなく、「世間様」=万人への「配慮」、を根拠として。

このプログで test タグ付けて書いていたことのかなりの部分は、実を言えばこの危惧からのこと。

CGM/UGC によって一個人の元にまで「近代」が降りて来て、「近代化」の時代が終わり「真の近代」がやって来た。しかしそれは全ての個人が「表象の商業的流通」のルールに支配される、ということでもあった。

さほど影響力の無かった個人によるパロディー/二次創作「同人」の頃は「放任」されていた UGC。それが力を持ってしまった時に、こう「選択」されてしまった。

未来は予め失われている。

もっとちゃんとした論者によってこのことが論じられるようになって、自分みたいなド素人がこの危惧を孤独に抱え込む事からは開放されたい、と常々思ってはいたのですが。こうやって誰の目にも明らかな形で実際に顕になる時が来ると……。確定された未来と覚悟はしていましたが。ただ、悲しい。

未来において「主体」は予め失われている。「主体」が無ければ「自由」も無く。あらゆる人間があらゆる人間への「配慮」でしかその行動を決められない、そういう「超封建主義」な未来がやってくる。

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

無力ではあるがそれが故に「可能性」を秘めていた プロレ はもう居ない。PC/ケータイでネットに繋がる全ての人間が今や「世間様」への無限大の責任を負う 局員

現実の方が追い越しちゃったから、もう改めてレビューを書く必要も無くなっちゃったかな。全く嬉しくないけどね。

D

まだひっくり返せるだろうか。free な未来の可能性を取り戻せるだろうか。

……なんて予言メソッドに走ってもなんの甲斐も無いわけで。
VOCALOID2 HATSUNE MIKU

未来は予測するより創る方が容易い

クリプトンが考えを改めてくれることを期待するのではなく、クリプトンが(故意か止む無くかは知らず)推進しようとしている未来にどう対抗するか。もうそちらを考え、そして実行しなければならないのでしょう。*3

D

*1:流通業者の判断に任せず独自の倫理規制で臨む

*2:PIAPROはてな のような UGC の場に限らずレンタルサーバー等でも

*3:愚痴: 別にあの会社もあそこの社長も、そして初音ミクも嫌いじゃない(控え目な表現)のだけれども。なんでこんな立場とらなきゃいけないんだ。